探検しよう!彦根城博物館

彦根城博物館ってどんなところ?

彦根城博物館は、1987年にオープンしました。
博物館では、江戸時代(今から400年前から150年前ごろ)に彦根の殿さまが使った道具や御殿<ごてん>にかざられた美術品、昔の人が書いた手紙など、彦根の歴史文化を伝える資料を保存しており、博物館に来ると展示室でそれらを見ることができます。

博物館のたてものを見てみましょう。めずらしい姿をしていますね。

彦根城博物館

博物館を外から見ると、江戸時代の御殿<ごてん>の姿をしています。これは、江戸時代、この場所に彦根城の「表御殿<おもてごてん>」というたてものが建っており、博物館を建てる時に、昔と同じような姿に作り直したからです。

表御殿とは

彦根城の中の中心的な建物の一つです。お殿さまはここで暮らしており、けらいと政治の話をしたり、やってきた客と会いました。表御殿の中には、そのために使う大小多くの部屋がありました。
表御殿は江戸時代のはじめごろ、1615年から1622年ごろに建てられ、明治時代のはじめごろ、1878年ごろに取りこわされました。

表御殿をたんけんしよう!

復元された御殿

お殿さまが暮らしていた部屋が、昔ながらに作り直されています。

行事の時にけらいが並んで殿さまと会った「書院<しょいん>」や「広間<ひろま>」があった場所は、展示室になっています。

御亭のしゃしんを見る 能舞台 360°パノラマで見る 御座之御間のしゃしんを見る 茶室のしゃしんを見る 庭のしゃしんを見る

能舞台<のうぶたい>

博物館の中央には、能舞台が建っています。この能舞台は、江戸時代にここに建っていた表御殿のたてものの一部です。
江戸時代には、ここで彦根藩のお祝いの時に能<のう>や狂言<きょうげん>が演じられ、殿さまやけらいが鑑賞しました。
能舞台のたてものは、表御殿が取りこわされた時に別の場所に移されて残っていたので、博物館を建てるときに、元の位置に戻しました。

能舞台のひみつ

博物館を建てるときに、地面を掘って調べたところ、能舞台の下に音をひびかせるためのくふうが見つかりました。

能舞台を360°パノラマで見る

彦根のお殿さまってどんな人?

江戸時代の最初から最後まで、ずっと井伊家が彦根の殿さまでした。
初代の井伊直政<なおまさ>は、徳川家康<とくがわいえやす>のそばで一緒に政治のことを考えたけらいです。直政は関ヶ原の戦いで活躍したことから、家康は彦根というだいじな場所を直政にまかせました。

その後、江戸時代260年を通じて、井伊家14代の殿さまは、徳川将軍をささえる大名<だいみょう>として、また彦根を治める藩主<はんしゅ>として活躍しました。中でも13代目の井伊直弼<なおすけ>は、江戸時代の終わりにアメリカなどが日本に開国するよう求めてきたとき、江戸幕府の大老<たいろう>という役職について、日本を開国にみちびいたリーダーとして有名です。

井伊直政と井伊直弼

「直政・直孝物語」小学生向け解説書 PDF   「井伊直弼ってどんな人」小学生向け解説書 PDF

お殿さまの持っていた道具を見てみよう

よろいかぶと

甲冑<かっちゅう>

二代目の殿さま 井伊直孝<いいなおたか>が使っていたよろいかぶと。井伊家のよろいかぶとは、殿さまもけらいも赤でそろえたので「井伊の赤ぞなえ」とよばれました。

  • よろいかぶとを見る
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茶の湯の道具

宮王肩衝茶入<みやおうかたつきちゃいれ>

抹茶(お茶の葉を粉にしたもの)を入れる道具。
この茶いれは、徳川家康<とくがわいえやす>が大坂城を攻めほろぼした時、戦いで活躍した井伊直孝<いいなおたか>にほうびとして下されたものです。井伊家では、家康からもらった宝として大切にしました。

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くらしの道具

鳥かご

ていねいなつくりの鳥かごです。殿さまがこの中に鳥を入れていたのでしょうか。

  • くらしの道具を見る

有名人(将軍さま)の手紙も残っているよ

徳川家康書状<とくがわいえやすしょじょう>

徳川家康書状

徳川家康が井伊直政へあてた手紙。直政のけらいたちに長野県<ながのけん>の方へ出兵させるよう指示しています。

徳川秀忠判物<とくがわひでただはんもつ>
徳川秀忠判物

彦根城の工事のときに2代将軍徳川秀忠から受け取った手紙。工事がはじまってすぐのころ「夏のあつい時だけれどもガンバレ!」と言っています。