江戸時代、彦根藩井伊家の当主は、鷹を使って鳥を捕らえる鷹狩りを行いました。鷹狩りの歴史は古く、養老4年(720)に完成したとされる『日本書紀』の記述には、鷹を使った狩りが行われたとの記事があります。
江戸時代の武家社会では、鷹は贈答品として扱われました。徳川将軍への鷹の献上や将軍からの鷹の拝領は、儀礼としての性格を持っていました。東北地方などの大名から将軍に鷹が献上され、それらの鷹は将軍が鷹狩りを行った後、将軍から尾張徳川家、紀伊徳川家、加賀前田家、高松松平家、そして井伊家などの一部の大名に下賜されました。将軍の鷹には、捕らえた鳥の種類に基づく格付け(鶴・雁・鴨の順)がなされ、この格付けや下賜する鷹の数によって、鷹を拝領する大名の中でもさらに差が設けられていました。このように、鷹の拝領の仕方は大名の序列を反映したものでした。国元への帰国に際し、江戸城で将軍から鷹を拝領した大名は、国元でその鷹を使って獲物を捕らえ、将軍に献上しました。井伊家当主の場合、雁を捕らえたことのある鷹と、鴨を捕らえたことのある鷹の2羽を拝領し、鷹狩りで捕らえた雁と鴨を献上しました。
井伊家当主の国元での鷹狩りには、陸上で行うものと、船の上から行うものがありました。10代当主直幸(なおひで)は陸と内湖などを行き来しながら鷹狩りを行いました。12代当主直亮(なおあき)の場合、船での鷹狩りを多く行い、彦根城と堀でつながっていた松原内湖(まつばらないこ)や、その北側を流れていた矢倉川(やぐらがわ)で鷹を放ち、鴨や鷺などの獲物を捕らえます。また、琵琶湖岸の八坂村(はっさかむら)と須越村(すごしむら)の間にあった野田沼(のだぬま)では、船の上から鷹狩りをしながら、供船を率い、沼を巡っています。
本展は、将軍家と井伊家の鷹拝領に関する儀礼の様子と、琵琶湖に近く内湖や沼が周辺に広がる彦根の自然環境に即して行われた鷹狩りの実際の様子を紹介し、彦根藩井伊家の鷹狩りの全体像に迫ろうとするものです。
▼新修鷹経(しんしゅうようきょう) 1冊
縦27.5cm 横20.3cm 天保15年(1844)写 当館蔵(井伊家伝来典籍)
▼井伊直亮初而御暇被仰出候式書 (いいなおあきはじめておいとまおおせだされそうろうしきしょ) 1通
縦17.2cm 横148.2cm 文化9年(1812) 当館蔵(彦根藩井伊家文書)
▼鷹狩道具等図解(たかがりどうぐとうずかい) 1冊
縦17.3cm 横9.0cm (折本) 江戸時代 当館蔵(井伊家伝来典籍)
▼御出留(おいでとめ)1冊
縦23.7cm 横16.9cm 文化9年(1812) 当館蔵(彦根藩井伊家文書)