彦根藩井伊家13代直弼(なおすけ)(1815-60)は、江戸時代後期の代表的な大名茶人として知られています。彦根藩を率いる藩主として、また、幕政を統括する大老として政治の表舞台で活躍するとともに、茶の湯の研鑽に力を注ぎ、茶書の執筆や茶会の開催、弟子の育成、茶道具の制作などを精力的に行い、自らの茶の湯を追求しました。本展では、直弼生誕200年を記念し、茶人直弼の多彩な活動を紹介します。
直弼は、文化(ぶんか)12年(1815)、井伊家11代直中(なおなか)の14男として誕生しました。幼少期から茶の湯に親しみ、青年期には茶の湯への傾倒を深め、江戸時代の武家の茶として親しまれた石州流の始祖、片桐石州(かたぎりせきしゅう)(1605~73)の茶の湯を中心に学びました。直弼の茶書には、石州流の他に各流各派のさまざまな茶書からの引用があり、幅広い学びの様子がうかがわれます。なかでも、石州の茶の湯の源流を成し、精神性の重要性を説いた千利休(せんのりきゅう)(1522~91)の佗茶は、直弼にとって道標となるような存在でした。直弼は、利休と石州をはじめとする先人の思想を丹念に紐解きながら、自らの茶の湯を育んだのです。
弘化(こうか)2年(1845)、直弼は31歳にして「入門記」を執筆し、石州流の中に一派を立てることを宣言します。その後、茶会の際の心得や点前の作法などに関する茶書の数々を執筆し、安政(あんせい)4年(1857)には、その集大成ともいうべき「茶湯一会集(ちゃのゆいちえしゅう)」を完成させました。その序文に記された「一期一会(いちごいちえ)」の言葉には、主と客が互いに相手を思いやり、精神的に深い交わりを持つという、直弼が理想とした茶の湯のあり方が、端的に示されています。
直弼は、自らの茶の湯を実践し、それを弟子に伝えるため、精力的に茶会を開きました。茶会で用いる道具に関しても細やかに心を配り、時には詳細な指示書を与えて道具を制作させています。また、自ら道具の制作に取り組み、竹花生(たけはないけ)や楽茶碗(らくぢゃわん)などの様々な作品を残しています。これらの茶道具は、著作とともに、直弼の茶の湯の本質を理解する上で重要な存在です。
本展では、直弼の自筆の茶書や自作の茶道具などを一挙に公開し、併せて利休と石州ゆかりの茶書や茶道具を展示します。先人の教えに真摯に向き合い、着実に自らの思想を築き上げた直弼の茶の湯の全貌をご覧ください。
*特別展関連講演会およびギャラリートークを開催します