湖東焼は、文政12年(1829)に、彦根城下の商人絹屋半兵衛(きぬやはんべえ)が、仲間と共に始めたやきものです。天保13年(1842)、井伊家12代直亮(なおあき)の命により窯が彦根藩に召し上げられ、その後、13代直弼(なおすけ)、14代直憲(なおのり)の代に藩窯として運営されました。
自然斎(じねんさい)(1821~1877)は、湖東焼の絵付師としてよく知られた人物です。中山道鳥居本宿(とりいもとしゅく)の自宅で旅館を営むかたわら、原村の床山や高宮村の赤水(せきすい)、白壁町の賢友(けんゆう)と株仲間を結成し、彦根藩の許可を得て藩窯から白素地(しろきじ)を仕入れ、絵付を行いました。文久2年(1862)に藩窯が廃止され、窯場や窯道具一式が、藩窯の職人であった山口喜平(やまぐちきへえ)らに払い下げられて再び民窯となった後は、この喜平の窯の素地などを用いて、明治時代以降も絵付を続けました。時代が変わり、宿場が衰退していく中、明治5年(1872)、高島郡西万木(にしゆるぎ)村(現・高島市安曇川町)へ移住し、明治10年(1877)に57歳で世を去りました。
自然斎は、赤と金で絵付を行う赤絵金彩や、赤や黄、青などの多色で絵付を行う色絵の技法を駆使し、華やかで細密な絵付の作品を多く残しています。その模様は、山水から花卉、鳥獣、人物まで多岐にわたっています。
本展では、自然斎の作品を一挙に公開し、併せて、自然斎所用の印章や、絵付の下絵なども展示します。生き生きとした筆線や鮮やかな色遣いの魅力をどうぞご覧ください。
▼赤絵金彩四方形唐人物花鳥図火鉢 当館蔵(河本英典氏寄贈資料)
▼色絵山水図火入 個人蔵