井伊家13代当主の井伊直弼(いいなおすけ)(1815~1860)は、安政5年(1858)4月23日から同7年3月3日までの間、江戸幕府の大老(たいろう)を務めました。大老は臨時に置かれる役職で、幕府政治の中心を通常担っている5人程度の老中(ろうじゅう)より上位に位置します。直弼は大老就任後、幕政を主導し、日米修好通商条約の締結や将軍継嗣(けいし)の決定などの政治課題に取り組んだことは広く世に知られています。しかし、本展では、このような大きな政治課題・政局の内容にはあえて踏み込まず、大老としての日々の仕事に注目します。
直弼は、大老就任後、体調不良で休んだ日以外はほぼ毎日江戸城に登城し、忙しいときには江戸城からの帰邸が夜中になることもありました。江戸城で直弼は、主に儀式への参加と、政務の協議・判断などにあたっていました。
江戸城で行われていた儀式には、正月や五節句、毎月定例日などの恒例のものや、将軍代替りなどの臨時のものが、一年を通して数多くありました。この江戸城での儀式に、直弼は、大老就任後は主催者側として参加しました。儀式の場では、大名同士の序列が席次や所作に象徴的に示されました。そのため儀式に参加する人びともそれを重要視し、儀式での行為を間違えないために、数多くの記録を作っていました。直弼大老時代の儀式については「城中式日記」に記録されており、大老として直弼が臨んだ儀式の様子が判明します。
また、政務の議論・判断に関しては、大小さまざまな幕府の政治課題が組織の中で処理されるなかで、直弼は書類の確認や、老中などとの議論を行っていました。例えば、日米修好通商条約締結直後の緊迫する政局のなかで、直弼は、2人の老中の登城を差し止めるという処分を行ったことがあります。一夜のうちに登城差し止めの旨を2人に伝達しなければならない至急の案件でしたが、その際も、登城差し止めを2人に伝達する前に、担当の老中に一度、伝達方法について相談しています。
本展では、以上のような、あまり知られていない日常的な直弼の大老の職務と、それに取り組む直弼の様子を紹介します。
【主な展示作品】
▼ 城中式日記 当館蔵
▼井伊直弼書状案 久世広周宛 当館蔵
▼井伊直弼批判箇条写 当館蔵