中村直彦(なかむらなおひこ)(1877~1945)は、明治時代後期から昭和時代前期にかけて活躍した能面作家です。
直彦は、熊本藩士族の三男として、明治10年(1877)に東京の細川家邸内で生まれました。代々、能を愛好した細川家に所蔵される能道具を眼にする機会があったこともあり、直彦は、次第に能面に興味を持つようになり、12歳頃から面を彫りはじめたようです。彩色については、熊本藩出身で、世襲面打家の技法を学んだ人形師から教えを受けたといいます。そして、その器用さを認められ、細川家のすすめと援助を受けて、明治27年(1894)、東京美術学校(現在の東京藝術大学)の彫刻科に進学します。在学中は木彫に加え、粘土や石膏を用いる西洋の彫刻技法、塑造についても学びました。明治32年(1899)に東京美術学校を卒業した後は、肖像彫刻や建築彫刻に従事していましたが、細川家16代当主護立(もりたつ)(1883~1970)の強い要請を受け、明治42年(1909)より能面の制作や修理を手がけるようになり、以後、能面の制作に専念しました。
直彦が能面の制作に転じた当時、能楽は、明治維新による幕藩体制の崩壊に伴う衰退から復興し、非常な盛況を見せていました。これに対して能面は、江戸時代以来続いた世襲面打家も途絶え、面を新たに制作する者はほとんど無いという状態でした。直彦はこのような状況の中で、少し早く能面作家として活動していた下村清時(しもむらきよとき)(1868~1922)と共に、以後の能面界をリードすることになったのです。直彦は、能面を再興した立役者の一人と言えるでしょう。
東京美術学校で彫刻を学んだ直彦は、伝統を踏まえつつ、新たな感覚の能面を制作しました。起伏ある表情を持つ鬼神(きじん)系の力強く生き生きとした面、伝統的な能面にはない生々しさを感じさせる痩せ衰えた霊(りよう)の面、また、役柄にあわせて造形を工夫した創作面も手がけています。加えて、在学中に学んだ彫塑技法を活かし、能面の石膏型を用いた独自の制作も行いました。
能を愛好した井伊家15代直忠(なおただ)(1881~1947)は、直彦の活動を支援したパトロンの一人です。直忠は、能楽師に師事して生涯を能に打ち込んだ人物で、現在、彦根城博物館が所蔵する大揃いの能面・能装束も、直忠によって収集されたものです。明治44年(1911)に発足した直彦の後援会にも、細川護立らと共に名を連ねており、直彦に面の制作を依頼するだけでなく、所蔵の面を参照させるなどしてその活動を支援しました。当館には65点もの直彦作の能面が収蔵されています。
本展では、当館が所蔵する直彦の能面に加え、中村家所蔵の貴重な能面の石膏型や能面制作道具を併せて展示し、直彦の能面とその活動について紹介します。近代を代表する能面作家の一人、中村直彦の能面をこの機会に是非ご覧ください。
【主な展示作品】
▼「能面制作趣意書」(『能楽(のうがく)』第9巻11号) 当館蔵