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彦根藩井伊家と能楽

開催期間:令和2年/2020年9月18日(金)~10月19日(月)

 能楽は、日本の伝統芸能である能と狂言の総称です。近世以前には、猿楽あるいは単に能の語が用いられました。
 江戸時代、幕府は能を式楽(しきがく、公的な行事で行う楽舞〔がくぶ〕)と定め、五座(観世・金春・宝生・金剛・喜多)の能役者を召し抱えて保護し、諸藩もこれにならって盛んに能を行いました。彦根藩井伊家も例外ではなく、役者を召し抱え、藩の行事などで、特に江戸時代後期に頻繁に能を催していたことが分かっています。
 井伊家と能の関わりの内、早い例として確認できるのは、初代直政(なおまさ、1561~1602)が徳川家康を、2代直孝(なおたか、1590~1659)が将軍世子である徳川家綱を、それぞれ自邸に迎えて能を催したというものです。初めて能役者を召し抱えたと考えられるのは、4代直興(なおおき、1656~1717)の時で、喜多流を中心に55人を定雇いとし、これがきっかけとなって藩内では喜多流の能が浸透していきました。この役者の多くは直興の隠居後に解雇され、以降、一時的に演能の記録は見られなくなるものの、8代直定(なおさだ、1702~1760)の代になると増加しはじめ、急速に能への関心が高まっていった様子が窺えます。そして、10代直幸(なおひで、1731~1789)が、彦根城表御殿での正月の行事として松囃子(まつばやし)を定例化し、歴代の中でも特に能を愛好した11代直中(なおなか、1766~1831)が、喜多流宗家の甥をはじめとする多くの役者を召し抱え、さらに、寛政12年(1800)に表御殿に能舞台を建設したことにより、彦根藩における能楽は最盛期を迎えます。以後、先祖の遠忌(おんき)や藩主の家督相続、彦根への入部(にゅうぶ)、還暦などの年賀といった行事における能が、表御殿の舞台において行われました。直中はまた、隠居後の住まいとした彦根下屋敷である槻御殿(けやきごてん)にも舞台を作り、頻繁に能を催しています。直中の跡を継いだ12代直亮(なおあき、1794~1850)も、金剛流の能役者や大蔵流の狂言役者を新たに召し抱え、13代直弼(なおすけ、1815~1860)も、能や狂言を自作したことが知られています。また、天保3年(1832)6月以降には、江戸上屋敷にも舞台が作られました。
 彦根藩において、能の中心的な担い手となったのはお抱えの能役者です。これに加えて、能に長じた藩士や、藩が城下の町人の中から任じた町役者など、多くの素人役者も動員して能が行われており、時には藩主や藩主の子弟が加わることもありました。また、演能に必要な面(おもて)や装束、小道具も多数所有していたことが、道具帳から判明します。
 本展は、彦根藩井伊家と能楽の関わりについて、その全体像を紹介する初めての展示です。演能や能役者召し抱えの記録、能舞台の絵図、道具帳といった古文書に加え、井伊家に縁(ゆかり)のある県内所在の能面などを通して、彦根藩井伊家において能楽がどのように受容されたのかを紹介します。

【主な展示資料

▼側役御用留(そばやくごようどめ、宝暦7年[1757]正月16日条)

 

 

 

 

 

 

▼黒御門前御屋敷日記
(くろごもんさきおやしきにっき、寛政12年[1800]12月18日条)

 

 

 

 

▼表御殿御能拝見席図(おもてごてんおのうはいけんせきず)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

▼能面 石王尉(いしおうじょう) 大手町組壽山蔵

 

 

 

 

 

 

 

 

▼能面 鼻瘤悪尉(はなこぶあくじょう) 北町組靑海山蔵

 

 

 

 

 

 

 

 

 

▼能面 小面(こおもて) 魚屋町組鳳凰山蔵

 

 

 

 

 

 

 

 

▼能役者由緒帳(のうやくしゃゆいしょちょう)

 

 

 

 

 

 

◆展示解説◆
と き:9月20日(日)午後2時~(受付は午後1時30分~)*40分程度
ところ:彦根城博物館 講堂
定 員:25名(当日先着順)
費 用:無料 *展示室の入室には観覧料が必要です。
担 当:茨木 恵美(当館学芸員)

名称
彦根藩井伊家と能楽
会期
令和2年/2020年9月18日(金)~10月19日(月)
休館日
会期中無休
開館時間
午前8時30分~午後5時(入館は午後4時30分まで)
入場料
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展示作品リスト


主な展示作品

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