江戸時代、大名は1年ごとに江戸へ参勤することを命じられ、その妻子も江戸に常住することが義務付けられました。彦根藩井伊家においても、当主は、江戸と彦根を1年ごとに往き来し、その家族である正室や世子(世継)、当主の女子は江戸に、世子以外の男子(庶子)は彦根にそれぞれ居住していました。井伊家の家族たちは、その地位に応じた役割に基づいて江戸幕府や彦根藩の儀礼に参加し、また他方では、それぞれの好みに応じた活動を行うなど、日常生活を営みました。また、現在の家族とは異なり、普段は離れて暮らす大名家族は、互いに贈答や手紙のやりとりを行うことにより、家族としてのつながりを維持していました。
大名家族の日常における公的な側面に注目すれば、井伊家当主は、様々な儀礼への参加をはじめ、藩政にかかわる命令を行ったほか、井伊家ゆかりの寺社や一族の廟所へ参詣するなどの勤めを果たしました。当主の男子のうち、世子は、将軍への御目見(おめみえ)を経た後、江戸城等での儀式に参加する中で、当主と同様の格式を獲得していきました。一方、庶子は、日々の武術稽古や学問修行、彦根城表御殿での儀礼への参加を通して、第二・第三の藩主候補としてのふるまいや教養の習得を目指しました。
また、正室は、家を維持していくために、世継の育成を担ったほか、将軍家・大奥との文通による交際を行い、井伊家と将軍家の結びつきを強固なものとしました。
一方、私的な側面に注目すれば、それぞれの好みに応じた諸芸の稽古や遊興などの活動も大名家族の日々の生活を彩るものです。井伊家歴代の中には、大名としての教養の域を出て、鷹狩や乗馬などの武芸に熱中する当主や、能や茶の湯などに親しむ当主もいました。庶子たちは、武術稽古のための外出や詩会の主催など、好みの武芸や学問を深めたほか、蛍狩りや祭礼見物を楽しむ姿も見られました。また、井伊家の女性たちも和歌への造詣を深めたほか、書などにも親しみました。
本展では、井伊家当主や庶子にかかわる資料が多く残る井伊家10代直幸(なおひで、1731―89)の時代を中心に、大名家族の側近くに仕えた家臣や奥女中の記録などから、井伊家当主とその家族の日常に迫ります。
ギャラリートーク(展示解説)
【主な展示資料】
▼井伊御系図聞書
縦 25.3㎝ 横 17.4㎝
江戸時代中期
▼「湖東彦藩之主羽林中郎將藤直幸之章」「開國元勲大臣世家」印
田中良庵 刻
縦 4.8㎝ 横 4.7㎝ 高 3.8㎝
江戸時代中期
▼三社託宣
井伊直明 筆
縦 109.2㎝ 横 29.3㎝
江戸時代中期
▼井伊又介(直在)宛 梅暁院書状
重要文化財
縦 33.0㎝ 横 46.2㎝
江戸時代中期
▼丑為歳暮御祝儀被下置
重要文化財
縦 12.6㎝ 横 33.7㎝
天明元年(1781年)