古くから人々は天文を観察してきました。元禄2年(1689)に井口常範(いぐちつねのり)によって著された天文暦学の解説書である『天文図解』の序文は「上古聖人、仰見天文、伏察地理(上古の聖人、仰ぎて天文を見、伏して地理を察し)」と始まります。この言葉は、人が天文を見てきた歴史を表していると言えるでしょう。
人々が目撃した天文現象は古くから多くの文献に記録されており、日本のものだけでも、『日本書紀』(奈良時代)や藤原定家の日記『明月記』(平安時代末~鎌倉時代)など、枚挙に暇がありません。仏教にも星が取り入れられ、平安時代には、北辰(北極星)や北斗星を妙見菩薩(みょうけんぼさつ)として拝む信仰が成立します。また、図像化した天体を方形や楕円形に配置して描き、延命や除災の祈禱などに用いられる星曼荼羅(ほしまんだら)も制作されました。
江戸時代に入ると、西洋科学の影響も受け、精密な天体観測に代表される科学的な天文学が発展・普及しました。幕府天文方が天文台を設置して天体観測を行い改暦も行ったほか、個人で天体観測に取り組む人も日本各地に現れます。星図を元に天空を球面に見立てた天球儀も制作されました。
天文学の普及は、天体観測の器具への関心も高めました。西洋の望遠鏡や測量器具が輸入され、日本でも自ら器具を作成する者が現れました。これらを収集した大名もあり、彦根藩井伊家には、イギリス製の望遠鏡や測量器具のほか、国友一貫斎(くにともいっかんさい)の制作した望遠鏡などが伝わっています。
しかし、このような江戸時代にあっても、陰陽道などの影響を受けた星占いが種々の書物で流布しており、例えば「大雑書」と呼ばれる書物は、星占いを含む日常生活の知恵袋として広く読まれました。また、『古事記』や『日本書紀』の記述に基づき、西洋科学とは異なる論理で天文現象を説明する国学者もいました。
本展は、古文書や書物、観測器具などを通して、江戸時代の天文学や天文にまつわる文化を紹介するものです。
【主な展示資料】
▼明月記(写本)
寛文2年(1662)写
縦 28.8cm 横 18.8cm
京都府立京都学・歴彩館蔵
▼星曼荼羅図
大阪府指定有形文化財
南北朝時代(14世紀)
縦 120.2cm 横 62.1cm
高倉寺宝積院蔵
▼天文図解
元禄2年(1689)刊
縦 22.1cm 横 15.9cm
▼幸徳井保暠書状
寛延元年(1748)8月27日
縦 35.6cm 横 48.2cm
彦根市立図書館蔵(平石家文書)
▼九曜星吉凶書付
江戸時代
縦 27.0cm 横 37.0cm
▼天球儀
京都府指定有形文化財(皆川家天文暦道関係資料のうち)
江戸時代(18世紀初)
縦・幅・奥行 約50cm(台座含む)
大将軍八神社蔵