江戸時代後期、文人画家として京で活躍した青根九江(あおねきゅうこう、1805-54)は、文化2年(1805)、彦根城下下魚屋町(現彦根市城町一丁目)の茶屋、青根三郎右衛門家に生まれました。三郎右衛門は彦根藩の御用もつとめる富商で、通称茶屋三と呼ばれました。九江は分家して山城屋と称し、本家の向かいに住んでいたといいます。名は介、字は石夫、九江はその号です。
九江の師の山本梅逸(やまもとばいいつ、1783-1856)は、名古屋出身で京で活躍した、当時の代表的な文人画家の1人です。梅逸は、各地を遊歴後の天保3年(1832)頃に上洛し、京の有名文化人名録とも言うべき『平安人物志』の天保9年(1838)版と続く嘉永5年(1852)版に名が掲載され、九江もまた、嘉永5年版に名が見え、当時京で知られた存在であったことが分かります。
師の梅逸は、中国画に強い影響を受けた、華麗な色彩の花鳥画や墨を活かした山水画を得意としました。九江の画は、多くは確認されてはいませんが、そのほとんどが花鳥画です。総体的に見て、梅逸作品より柔和な印象を与え、その人柄のようなものを感じさせます。そして、師の画風の域に留まらずに、魅力的な中国・明清画を入手して学ぼうとする熱い志もありました。
九江には彦根に強力な支援者がいました。その支援者は、九江の画を求めるだけでなく、自身が画を九江から学んでいたようで、同家には、九江筆の絵手本と見られるものも伝来します。帰省の折には皆に手厚く扱われたという話も伝わっており、九江は、彦根と京を文化的につなぐキーマンとしての役割を担っていたと見ることもできるでしょう。九江自身、京では、梅逸が関係した文化的サークルを中心にネットワークを広げていったものと見られ、貫名菘翁(ぬきなすうおう、1778-1863)や猪飼敬所(いかいけいしょ、1761-1845)など、名だたる文人達と交流しています。
本展は、青根九江の画業と生涯を通覧する初めての展覧会です。九江画の魅力を発見することは勿論、彼の活躍を通じて、当時の京と地方の文化のつながりをうかがえる機会となれば幸いです。
【関連事業】
(1) ギャラリートーク(展示解説)
日 時:6月22日(土)午後2時~ *30分程度
会 場:当館展示室1
講 師:髙木 文恵(当館学芸員)
その他:観覧料が必要
(2) 講演会「青根九江―京都画壇での活躍―」
日 時:7月6日(土)午後2時~3時30分
会 場:当館講堂
定 員:50名(当日先着順)
資料代:100円
講 師:髙木 文恵(当館学芸員)
【刊行物】
図録『青根九江 ―京で花開いた彦根の文人画家―』(A4版、カラー、表紙を含め48頁)を刊行します。
【主な展示資料】
▼花鳥図 青根九江筆
絹本著色
縦 164.3㎝ 横 85.9㎝
江戸時代後期
個人蔵
▼梅図 青根九江筆
紙本墨画
縦 178.0㎝ 横 97.8㎝
江戸時代後期
▼山水図 画)青根九江筆 跋)貫名菘翁筆 画12枚 跋1枚
紙本淡彩
各縦 20.6㎝ 横 17.2㎝
画)江戸時代後期 跋)嘉永7年(1854)
個人蔵
(山水図12枚のうち)
(貫名菘翁による跋)
▼『平安人物志』嘉永5年版
弄翰子編
紙本木版摺
縦15.2㎝ 横11.0㎝
嘉永5年(1852)
京都府立京都学・歴彩館蔵
▼青根九江書状 奥野武右衛門宛
紙本墨書
縦 16.9㎝ 長 114.3㎝
江戸時代後期 年未詳4月4日
個人蔵(滋賀大学経済学部附属史料館保管)
(冒頭)
(末尾)