3月3日の上巳の節句に行われる雛祭りは、女児の健やかな成長を祈る行事です。元来、上巳に限らず、節句は季節の変り目にあたるため、病気などの災いが降りかかりやすい日と考えられてきました。そのため、節句には厄を払う祈りをし、厄を受ける身代わりとして人形(ひとがた)を作り、神に供えたり、厄払いとして川や海に流すということが行われました。後にこの人形は、飾り付けて楽しむものへと変化していきました。江戸時代に入ると、桃の節句に、人形とともに菱餅や菓子、白酒などを供えて賑やかな飾り付けをして祭を行うという、現代につながる習わしが定着しました。この人形は雛と呼ばれ、より華やかで精巧なものが作られるようになります。そして、実際の調度類を模したミニチュアの雛道具も作られ、雛と共に飾られるようになりました。
江戸時代の大名家の姫君の婚礼の際には、嫁入道具として、豪華な調度とともに雛と雛道具が誂(あつら)えられました。雛道具は、婚礼調度を模し、数十件にも及ぶ大揃えのものとするのが通例でした。井伊家13代直弼(なおすけ)の息女弥千代(やちよ、1846~1927)が、安政5年(1858)に高松藩松平家世子頼聡(よりとし、1834~1903)に嫁いだ際にも、婚礼調度とともに雛道具が調えられました。弥千代の雛道具は、井伊家の家紋の橘と松竹梅の文様が金蒔絵であしらわれ、実物の調度さながらに精巧に作り込まれています。その数は85件にも及び、賑々しい婚礼仕度の様子を今に伝えてくれます。
本展では、弥千代の雛道具を中心に、地元の旧家に伝わる古今雛(こきんびな)や段飾り、御殿飾りなどを一挙に公開します。春を彩る華やかな雛飾りの数々をご堪能ください。
【主な展示資料】
▼弥千代の雛道具のうち 駕籠・長柄傘
駕籠 高 31.5cm
長柄傘 高 45.0cm 江戸時代後期
▼古今雛
男雛 高 45.0㎝
女雛 高 50.5㎝
明治~大正時代
▼雛御殿飾り
高 64.5㎝
明治33年(1900年)