日下部鳴鶴(くさかべめいかく、1838~1922)は、近代日本の代表的な書家です。彦根藩士の出身で、明治維新後、新政府の書記官を勤めましたが、明治12年(1879)、42歳の時に、官を退いて書の道一筋に生きていくことを決意します。
折しもその翌年、清国公使の随員として来日した楊守敬(ようしゅけい、1839~1915)と出会い、彼の所持する大量の碑板法帖(石碑の拓本や書の複製品)をもとに書を学び、力強く韻の高い中国・漢魏六朝時代の書を基盤とする自らの書風を確立しました。深い学識に裏付けられた格調高い鳴鶴の書は広く世に受け入れられ、近代随一の大家と謳われるまでになりました。
本展は、当館が令和6年3月に鳴鶴直筆の書簡を新たに収蔵したことを記念し、これら書簡と鳴鶴作品とをあわせて紹介するものです。いずれの書簡も80~81歳の鳴鶴が彦根在住の元彦根藩医・中島宗達(なかじまそうたつ、1840~?)に宛てたもので、2人の親密な間柄や多忙を極める鳴鶴の様子、老齢になっても衰えない鳴鶴の書への思いが伝わってきます。本展が、鳴鶴の知られざる最晩年の様子や、彦根の地における文化的役割を知る機会となれば幸いです。
【主な展示資料】
新収蔵資料
▼中島宗達宛 日下部鳴鶴書簡
大正7年(1918)10月19日 81歳
縦 18.7㎝ 横 70.6㎝
新収蔵資料
▼中島宗達宛 日下部鳴鶴礼状
大正6年(1917)5月14日 80歳
縦 23.4㎝ 横 13.2㎝
新収蔵資料
▼中島宗達宛 日下部鳴鶴書簡
大正6年(1917)5月28日 80歳
縦 24.4㎝ 横 40.5㎝
新収蔵資料
▼中島宗達宛 日下部鳴鶴書簡
大正7年(1918)5月22日 81歳
縦 18.6㎝ 横 70.1㎝