井伊直弼は、彦根藩井伊家13代当主であり、また幕末期に江戸幕府の大老を勤めた人物として有名ですが、加えて、文化人としても活躍した人物です。
直弼は、文化12年(1815)10月29日に生まれ、32才までを彦根で過ごしました。彦根時代の直弼は、井伊家を継ぐ見込みもなく、また他大名への養子縁組みも成立しなかったため、将来に希望を見いだせない状況でした。自らを「埋(う)もれ木」(長期間地中に埋もれて変質した木)に例えるような状況においても、文武諸芸の鍛錬に精を出し、禅、茶の湯、和歌、国学(こくがく)、居合(いあい)、兵学(へいがく)などを学びました。
仏道修行については、直弼は、信仰心に篤(あつ)かった父・直中(なおなか)(11代当主)の影響を受けて取り組みました。13才頃から井伊家菩提寺の清凉寺(せいりょうじ)に通い、参禅を初めとする修行を行ったとされます。のち、仏教全般に目を向け、仏教の文献を読んでメモを取り、また教義を書写するなどしています。
国学については、国学者・長野義言(ながのよしとき)に師事し学んでいました。国学とは、古代の文献から日本独自の文化を究明しようとする学問です。直弼は、国学の研究に関わって、古典、和歌、そして古語を理解するための文法についても学びました。長野はのちに直弼の政治的ブレーンとして活躍する人物ですが、2人の関係は学問の師弟関係から始まっています。
このように、幅広い分野に関心を持っていた直弼ですが、その学びは一通りのものでなく、突き詰めて研究する姿勢がみえます。居合については、居合師範・河西精八郎(かさいせいはちろう)について新心流(しんしんりゅう)の居合を学び、免許皆伝まで修行を重ね、新しい流派となる「神心流(しんしんりゅう)」の創設を宣言しています。
直弼の学問・武道への取り組み方は、師匠と対話を重ね、また先人の著述を徹底的に読み込み、そこから自分の考えを導き出すところに特徴があります。真摯に学問・武道と向き合い、そして学び続けたその姿勢は、後年江戸幕府の大老として活躍するための重要な素地となったと考えられます。
本展では、生涯をかけて幅広くそして奥深く学び続けた直弼の姿を紹介します。
*10月24日(土)11時00分~11時30分および14時00分~14時30分にギャラリートークを開催します(2回とも同内容)
ギャラリートーク