本展は、7月から5回にわたり開催してきました井伊直弼公生誕200年祭関連展示「シリーズ 直弼のこころ」の第5弾です。
甲冑(かっちゅう)と刀剣は、武士にとって欠かせない武具でした。それは、泰平の世になっても変わらず、彦根藩井伊家13代当主の直弼(なおすけ)(1815~1860)も例外ではありません。本展では、直弼所用の甲冑と刀剣を通して「直弼のこころ」の一端を紹介します。
井伊家歴代の甲冑は、金の大天衝(おおてんつき)を脇立(わきだて)とした朱具足(しゅぐそく)で、それぞれ制作された時代の流行や当主の好みが表れています。このうち直弼のものは、加飾のほとんどないシンプルな作りです。
江戸時代後期には、装飾性の高い甲冑が多く制作されており、直弼のようなシンプルなデザインはやや珍しいものです。直弼の甲冑の特徴は、デザイン以外にも挙げられ、面頬(めんぽお)と兜の下部に用いられる板札(いたざね)や草摺(くさずり)の間数、威糸(おどしいと)の掛け方など、井伊家2代直孝(なおたか)所用と伝える甲冑の1つと多くが共通しています。さらに直弼は、現存する甲冑に加え、直孝の1領を自らの所用にしています。直孝は、江戸幕府2代将軍秀忠(ひでただ)をはじめとする3人の将軍に仕え、彦根藩井伊家の家格を盤石なものとした当主であり、彦根藩では初代直政(なおまさ)と共に崇敬されていました。おそらく直弼も、こうした尊崇の念をもって、直孝の甲冑に倣ったものを作り、また所用したのでしょう。
直弼が指料(さしりょう)とした刀剣にもまた、特色が表れています。当時は、慶長年間(1596~1615)より前に制作された古刀が珍重され、井伊家を含む多くの大名が、指料には古刀を選択していました。これに対し直弼は、江戸時代前・中期の名工である粟田口一竿子忠綱(あわたぐちいっかんしただつな)と長曽祢虎徹(ながそねこてつ)の刀を指料にしています。実は、このうちの2口(ふり)は、父である直中(1766~1831)の所用とされる刀です。直弼は深く敬愛していた父・直中(なおなか)の刀をあえて指料に選んだ可能性が考えられるのです。
なお、これらの指料を収めた拵(こしらえ)は、黒漆塗の鞘(さや)に、鮫皮を敷いて黒糸を巻いた柄(つか)が取り合わされており、鐔(つば)や縁(ふち)などの金具には家紋が表されています。これは、式正(しきしょう)といい、幕府によって規定されていた形式でした。時代が下ると、規定から外れたものを制作する大名が増えましたが、直弼は規定通りの拵を調えました。ここから直弼の規律を守ろうとする姿勢がうかがえます。
展覧会では、甲冑とともに具足下(ぐそくした)や草鞋(わらじ)などの揃いの道具一式も併せて展示します。また、刀も、指料に加えて居合刀(いあいがたな)を公開します。
「直弼のこころ」が映し出された武の出で立ちをじっくりご覧ください。