敵味方に分かれて戦うことは、日本の歴史の中で幾度となく繰り返されてきました。特に室町時代末期、いわゆる戦国時代と呼ばれる頃には、日本各地で有力大名による勢力争いが起こり、戦闘の形態も旧来の馬上戦から、将と数多くの歩兵からなる軍勢同士が戦う集団戦へと変化していきました。
集団戦においては、明確に敵味方の違いを示すとともに、大勢の兵に的確に指示を伝えることが重要です。そのため、陣営や個人の区別に必要な旗や指物(さしもの)、攻撃などの合図を出す采配(さいはい)や陣太鼓(じんだいこ)などの道具が多用されるとともに、それらについて定めた軍法の整備も進められていきました。また、戦闘形態が変わったことに伴い、攻撃の主力となる武器にも変化を見ることができます。馬上戦の時代は、弓矢を用いた攻撃が中心でしたが、多くの歩兵を抱える集団戦では、長い柄を持つ鑓(やり)が主要な武器となりました。鑓は、突き刺す攻撃のみならず、柄の撓(しな)りを活かした強打、あるいは薙ぎ倒すことにも長けており、さらに訓練を重ねていない歩兵であっても扱い易い点などから、集団戦に取り込まれていったと考えられています。また、16世紀に日本へ鉄砲が伝来すると、戦時の武器の1つとして取り入れられ、弓矢と併せて遠距離攻撃を担っていきました。
彦根藩井伊家が率いた軍勢は、初代直政(なおまさ、1561~1602)以来、甲冑や旗などを赤で統一した「赤備え(あかぞなえ)」の軍団として知られています。総大将や重臣のみならず、足軽に至るまで赤備えとした集団が戦場で活躍する姿は、異彩を放っていたことと想像されます。
合戦における井伊軍の奮闘は、藩主家や藩士家伝来の古文書等に記録されています。そこには、一番鑓を入れた誉れや手柄の争奪、快進撃や苦戦の様子、負傷した者や討ち死にした者の名などが書き記され、合戦の現場で起きた様々な生々しい出来事をうかがうことができます。
本展では、「井伊の赤備え」で知られる井伊軍の武装をはじめ、集団戦で多用された武具や武器、そして戦功などの逸話や関連作品を収蔵品から紹介します。これらを通じて、集団戦に見られる特徴と奮闘する井伊軍の実態に迫ります。
【主な展示資料】
▼正諫記(せいかんき)
縦24.0㎝ 横16.9㎝
江戸時代 承応2年(1653)
彦根城博物館(井伊家伝来典籍)
▼陣太鼓(じんだいこ)
鼓径45.3㎝
江戸時代中期~後期
彦根城博物館(井伊家伝来資料)
▼大坂夏の陣図(おおさかなつのじんず)
縦158.0㎝ 横357.0㎝
江戸時代後期~明治時代初期
個人
(右隻部分)
▼五十嵐半次口上書(木俣右京宛) 写(いがらしはんじこうじょうがき(きまたうきょうあて)うつし)
石黒努筆
縦33.4㎝ 横89.6㎝
明治23年(1890)
彦根城博物館(五十嵐半次家文書)