茶壺(ちゃつぼ)は、茶の湯で用いる葉茶(はちゃ)を貯蔵し、運搬するための器です。中国南部で制作された貯蔵用の陶製の大壺が日本にもたらされ、13世紀頃、喫茶の伝来と広まりとともに茶壺に転用されたと考えられています。室町時代の『満済准后(まんさいじゅごう)日記』の永享6年(1434)2月4日の条には、「葉茶壺九重ト号名物」という記述が見え、このころ茶壺に銘が与えられ、名物と称されていた様子がうかがい知れます。また、天文年間(1532~55)頃の茶会記をひもとくと、書院や広間の床に飾る茶壺飾りが行われていたことも看取され、茶壺が飾り道具として格別に扱われていたことが理解されます。室町時代には、瀬戸窯で唐物茶壺を模した四耳壺が焼造されるようになり、茶壺愛玩の気風はより大きな広がりを見せました。
茶壺はその堂々たる姿から、信長や秀吉をはじめとする戦国大名達にとりわけ愛されました。戦功のあった武将への褒美として茶壺の名品が与えられ、その一壺が、一国一城、数万石、ときには十数万石の恩賞に値すると評されたのです。江戸時代に入ってからも、茶壺は大名家の格式を示す道具として尊ばれ、引き続き収集されました。また、将軍へ献上される宇治の新茶を江戸まで運ぶ「茶壺道中」が寛永9年(1632)に開始されてからは、茶壺が仰々しい出で立ちで駕籠に乗せられ、江戸と宇治間を毎年往復しました。このような茶壺の御用は将軍のみならず諸大名へも行われ、井伊家にも毎年宇治の新茶を詰めた茶壺が届けられました。
江戸時代、葉茶の熟成期間を経た11月に、茶壺の口封を切って茶を取り出し、茶臼で碾(ひ)いて喫する「口切(くちきり)の茶事」が茶人達の間で広く行われるようになりました。口切茶事は茶家の正月とも言われるほど重要視されるようになり、その伝統は現代の茶の湯に引き継がれています。
本展では、名だたる武将が愛蔵した茶壺や茶人小堀遠州(こぼりえんしゅう)が井伊家2代直孝(なおたか)に斡旋した茶壺など、井伊家伝来の茶壺の優品9点と、これらにまつわる茶入日記や書状、茶壺の飾り紐の雛形、口切茶事の様子を記した茶会記なども展示し、茶壺の収集と賞翫(しょうがん)の歴史を紹介します。
【関連事業】
(1) スライドトーク
日 時:5月18日(土)午後2時~ *30分程度
会 場:当館講堂
定 員:50名(当日受付、先着順)
参加費:無料 *展示室の入場には、別途観覧料が必要です
講 師:奥田 晶子(当館学芸員)
(2) 関連講座「井伊家伝来の茶壺」
日 時:6月1日(土)午後2時~3時30分
会 場:当館講堂
定 員:50名(当日受付、先着順)
受講料:100円(資料代)
講 師:奥田 晶子(当館学芸員)
【主な展示資料】
▼緑褐釉四耳壺
口径 10.5cm 底径 12.6cm 高 31.3㎝
中国・明時代
▼小堀遠州書状 井伊直孝宛
本紙 縦 28.7㎝ 横 46.6㎝
江戸時代前期
▼御茶入日記
縦 17.2㎝ 横 14.3cm
江戸時代
▼石州流茶壺蓋結緒雛形
各段 縦 21.2㎝ 横 42.5cm
江戸時代後期