近江国では古くから、刀を制作する刀工をはじめ、鐔師(つばし)や鉄砲鍛冶など、武器を制作する工人たちが活躍していました。近江における「鍛冶」の活動は、奈良時代に編纂された『続日本紀(しょくにほんぎ)』の記事に見られ、平安時代前期の記録では、近江から朝廷へ刀を毎年納めていたことが確認できます。現存作例では、鎌倉時代の刀工である貞宗(さだむね)(通称 高木貞宗)を皮切りに、以後、湖東や湖北地域を中心とした地名が刻まれたものが見られるようになります。本展では、近江で活躍した、あるいは近江と縁の深い、刀工や鐔師、そして鉄砲鍛冶にスポットを当てます。
近江の刀工では、戦国時代に鎗を中心に制作した下坂鍛冶(しもさかかじ)がよく知られています。この鍛冶集団は、坂田郡下坂庄(しもさかのしょう)(現・長浜市下坂中町(しもさかなかちょう)、下坂浜町(しもさかはまちょう)付近)を拠点としていましたが、関ヶ原合戦以降は、越前や会津など各地へ移住し、活動範囲を拡げていきました。江戸時代になると、工人の往来は多くなり、近江に流入してくる者も現れます。
それは鐔師も例外ではありません。その一人に、藻柄子宗典(そうへいしそうてん)がいます。宗典は、18世紀中頃に活躍し、在銘作品から彦根の中藪(なかやぶ)に居を構えていたと考えられます。彼の卓越した彫出技法や複数の金属を巧みに組み合わせた彩色方法は、「彦根彫(ひこねぼり)」と称され、大いに人気を博しました。宗典以降も、その系譜に連なる鐔師の作品には、「彦根住」と銘が刻まれ、彦根において鐔師が活動していたことを物語っています。
16世紀半ば、日本に鉄砲が伝来すると、国内での製造が進められ、近江の国友村(現・長浜市国友町)の鍛冶集団は、堺(現・大阪府堺市)のそれと並ぶ鉄砲鍛冶として、全国に名を轟かせました。国友鍛冶は、幕府の御用を務めるとともに、彦根藩や藩内の地域とも関わりが見られ、藩主井伊家からの発注記録や注文品のほか、旧藩領には国友鍛冶による火縄銃が伝存しています。
本展は、館蔵品の中から、近江ゆかりの工人が制作した江戸時代の作品を中心に紹介します。工人それぞれが持つ技という観点から、あるいは作品に表された意匠や細工という観点から、工匠(たくみ)が織りなす数々の技巧をご堪能ください。