古来より主要な武器として使用されてきた日本刀。その反りのある姿や独特な表面の文様は、刀工が鉄を鍛錬し、成形していく中で生み出されるものです。慶長年間(1596~1615)より前に制作された古刀と分類される刀剣には、制作地や流派によって文様の特徴が見られましたが、それ以後の新刀になると、刀工ごとの個性が際立つようになります。
新刀期の刀工の作刀活動は、特に江戸と大坂に集中したため、この二都市が日本刀の大生産地となりました。大坂の刀工が華やかな刃文を得意としたのに対し、江戸の刀工は、斬れ味を重視した実用本位の刀剣を制作する傾向にありました。江戸に拠点を置いた刀工の中で、最上の斬れ味と謳われた刀剣を鍛えたのが、長曽祢虎徹(ながそねこてつ)(1605?~1678、名は興里(おきさと))です。
虎徹は、近江国彦根の長曽根村に起源をもつとされる長曽祢鍛冶(ながそねかじ)に連なる、江戸時代前期に活躍した刀工です。長曽祢鍛冶は、甲冑や鐔などを主に制作する鍛冶集団で、虎徹も元は甲冑を制作することを生業としていましたが、後に刀工に転向して数多くの作品を手掛けました。虎徹作品の最大の特徴は、その強く鍛えられた地鉄(じがね)で、新刀期の刀工の作中でも、抜群の出来として早い時期から高く評価されました。没後40年を経た頃の刀剣書『新刃銘尽』では、虎徹作品について地鉄の良さを細かく挙げて「新身(新刀)第一の上作」と称賛し、虎徹の刀剣を指料とすることを誰もが望んだとまで記しています。虎徹作品が人気を博したことは、虎徹の名を騙った偽物が江戸時代から多く作られていたことからもうかがえます。
虎徹の優れた鉄の完成には、試刀家である山野勘十郎父子の存在が大きく関わっています。万治元年(1658)から寛文6年(1666)頃にかけて、山野父子は虎徹の刀剣で試し斬りを度々行っており、この間に虎徹は、山野父子から助言を受けたと考えられています。彼らと交流を持ち、修練を重ねていった結果、寛文末年(1671~72)頃に虎徹の鉄は完成期を迎え、これ以後名作と称される刀剣が数多く誕生します。
虎徹が切る銘字の変化も、彼の作品で注目される点です。約25年にわたる活動期間に使用された銘字は、10種以上に分類することができます。今日よく知られている「虎徹」という名は、刀工に転身した後に使用するようになった入道名(号)で、甲冑師時代や刀工としての初期作には本名である「興里」銘を入れるなど、制作時期によって銘に用いる名前や漢字、字体が異なります。
本展では、虎徹が制作した作品の数々を紹介し、彼が鍛え上げた鉄の特徴と魅力に迫るとともに、銘字の変遷にも注目します。また、虎徹とルーツを共にする江戸や越前で活躍した長曽祢鍛冶の作品も併せて展示します。彦根ゆかりの鍛冶による鉄の技をご堪能ください。
関連イベント
講演会①「虎徹と長曽祢鍛冶」
日 時:平成30年(2018年)11月4日(日) 午後2時~3時30分
講 師:古幡昇子(ふるはたのりこ)(当館学芸員)
場 所:彦根城博物館 講堂
資料代:100円(展示の観覧には別途観覧料が必要です)
講演会②「『虎徹』は はたして名工か-興里(おきさと)・興正(おきまさ)・興久(おきひさ)-」
日 時:平成30年(2018年)11月10日(土) 午後2時~3時30分
講 師:末兼俊彦(すえかねとしひこ)氏(京都国立博物館研究員)
場 所:彦根城博物館 講堂
資料代:500円(展示の観覧には別途観覧料が必要です)
【主な展示資料】
▼小田籠手 銘(馬手)於武州江戸作之 (射向)長曽祢興里(東京国立博物館蔵)
Image:TNM Image Archive
▼脇指 銘(表)同作彫之 長曽祢興里虎徹入道 (裏)(金象嵌銘)寛文元年八月廾一日 貳ツ胴截断 山野加右衛門永久(花押)(香川県立ミュージアム蔵)