江戸時代、代々彦根藩主をつとめ、譜代大名筆頭として幕府の要職を担った井伊家は、その家格に相応しい数々の美術品と膨大な古文書を所蔵し、これらは江戸と国元の彦根とに分けて管理されていました。
明治時代になると、廃藩置県によって全ての藩が廃止となり、旧藩主は家禄と華族の身分を保障されて東京へ移住しました。井伊家は伯爵となり、江戸時代の屋敷地を手放して、東京の麹町区一番町(現在の東京都千代田区三番町)に新たに本邸を構えました。本邸の敷地内には8棟の土蔵があり、江戸時代の藩邸から引き継いだものに加え、明治以降に彦根から運ばれた美術品や古文書なども数多く保管されていました。
大正12年(1923)9月1日、東京や神奈川を中心とした関東一円と中部地方の一部を、後に関東大震災と呼ばれる大地震が襲います。地震後に発生した火災によって被害は拡大し、東京では下町を中心に市街地の6割強の建物が崩壊あるいは焼失し、死者・行方不明者は9万人余りに達しました。
本邸も一帯の火災によって焼失し、土蔵に保管されていた美術品や古文書も、そのほとんどが灰燼に帰してしまいました。この時、奇跡的に難を逃れたのは、2代直孝(なおたか)が徳川家康より拝領した家宝「宮王肩衝茶入(みやおうかたつきちゃいれ)」、現在、国宝に指定されている「彦根屛風」、 13代直弼(なおすけ)に関係する一群の古文書のほか、記録から罹災を免れたことが確認される美術品約80件のみです。当館には、焼身となった刀剣や陶磁器といった、激しい火災に遭いながらも形として残った品々が収蔵されています。これらの使用や鑑賞が困難となった1000件を超える罹災品も、井伊家は処分することなく保管し続けてきました。
関東大震災以前にも、井伊家伝来資料は複数にわたって災害に見舞われています。嘉永3年(1850)2月5日の麹町大火では、江戸上屋敷が類焼し、保管する古文書や道具が失われる大きな被害を受けました。また、彦根城周辺の市街地も浸水した明治29年(1896)9月の琵琶湖大洪水では、井伊家屋敷である千松館(せんしょうかん)の土蔵の1階が長期間にわたって水没し、水損した多数の古文書の中にはやむなく廃棄されたものもありました。この水害の際には、井伊家の家職が、懸命に資料を救助したことが分かっています。
本展は、関東大震災から100年の節目を迎えるにあたり、井伊家伝来資料に関わる災害について取り上げるものです。被害の有り様を紹介するともに、その中でいかにして井伊家伝来資料が守り伝えられてきたのかを改めて振り返ります。
【主な展示資料】
▼彦根水害地之図
縦 51.9㎝ 横 68.9㎝
明治29年(1896)刊か
個人(平田町町代中村家文書)
▼罹災刀剣
最大長 95.0㎝
平安時代~江戸時代
▼染付柳に小禽図水注(罹災品)
高 13.9㎝ 口径 7.4㎝
江戸時代後期
▼秘書集録 10巻の内9巻
重要文化財
最大縦 28.1㎝
江戸時代後期
▼関東大震火災残存御家宝略目録
縦 28.8㎝ 横 20.4㎝
大正時代