安政(あんせい)5年(1858)4月21日、井伊家13代直弼(なおすけ)の二女弥千代(やちよ)(1846~1927)は、13歳で高松藩松平家世子頼聡(よりとし)(1834~1903)に嫁ぎました。この婚礼のため、大名家の通例にならい、大揃いの婚礼調度と雛道具が準備され、輿入れの際に持参されました。しかし、安政7年(1860)、桜田事変で直弼が亡くなった後、文久(ぶんきゅう)2年(1862)に幕政を掌握した反直弼派は、直弼が行った政治を批判し、彦根藩に対して厳しい処罰を下しました。弥千代は、その難が婚家に及ぶことを恐れ、翌3年(1863)、頼聡と離縁しました。この時、婚礼道具もともに井伊家に帰り、弥千代が明治5年(1872)に再び頼聡に嫁いだ後も、井伊家のもとに残されました。
弥千代の婚礼調度は、黒漆塗に松竹梅の金蒔絵(きんまきえ)をあしらった豪華な意匠で統一されており、駕籠(かご)や茶弁当など4件が伝えられています。弥千代の雛人形は、紙製の衣装をまとう古式ゆかしい立雛(たちびな)です。雛道具は、婚礼調度のミニチュアで、井伊家の家紋の橘(たちばな)と松竹梅の文様が金蒔絵(きんまきえ)であしらわれ、実物さながらに精巧に作り込まれています。その数は85件にも及び、賑々しい婚礼支度の様子を今に伝えてくれます。
本展では、春を寿ぐ桃の節句にちなみ、弥千代の婚礼道具と雛人形、雛道具を一挙に公開します。大名家の姫君にふさわしい華やぎに満ちた婚礼道具の魅力を、どうぞご堪能ください。