うもれぎのやのことば
うもれぎのやの言葉 1通 |
重要文化財 |
井伊直弼筆 |
縦16.0 横124.0cm |
江戸時代 天保5(1834)~6年の間 |
彦根藩井伊家文書 |
天保5年(1834)7月、20歳となった井伊直弼は、日向国延岡藩主内藤家の養子候補として、弟直恭(なおやす)とともに彦根から江戸に向かいました。8月には、直恭が内藤家への養子に内定し、10月に養子縁組が幕府から正式に認められました。この「うもれぎのやの言葉」は、江戸滞在時に、直弼が著したものです。直弼は4年前に彦根の尾末町御屋敷(おすえまちおやしき)にそうしたのと同様、江戸での自身の住居に「埋木(うもれぎ)の屋(や)」と名付けたと述べています。そしてその理由は、厭世の気持ちからではなく、世の中の雑事から離れて自らの道をしっかりと生きていこうという気持ちを表したものとします。